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前回、ホームレスの就労の話を書いたが、アルミ缶の合間に単発的な日雇い仕事に従事するホームレスもいる。日当1万円の仕事をしても、親方や手配師にピンハネされて、6千円から8千円しかもらえない、ということが多い。 しかし、そんなのはまともな方である。最初からその金額を提示されていて、納得済みだからだ。そうではなくて、日当1万円というから働いてみたのに、休憩時間中に勝手にくれたタバコやパンを法外な値段で差し引かれ、結局、六千円しかくれなかったという話もある。住み込みの仕事を紹介されていってみたら、部屋代や食事代を請求され、丸裸にされて逃げてきたというひどい話も聞く。 僕も夜中の11時ごろ、一人で公園を歩いていて、30代くらいの男性に声をかけられた経験がある。 「にーちゃん、仕事せえへんか。住み込みの現場仕事で日当7,000円や」 月に20日仕事があれば、月額で140,000円になるが、部屋代と食事代は仕事をしなくてもとられるので、ひと月30日として3,000円×30=90,000円が引かれ、実際の手取りは140,000-90,000=50,000円。確かに計算はあっている。 しかし、現場仕事は雨が降ったら仕事がない。さらに、順番待ちといって仕事をさせないことも可能だ。よく計算してみよう。仕事がなくても、部屋代と食事代が毎日計上されるということがポイントだ。 20日間のうち、5日が雨や順番待ちとなり、実際に働いたのが15日だったとすれば、賃金は、7,000×15=105,000円。部屋代と食事代で90,000円が引かれたら、手取りは15,000円。日額にしてたった1,000円だ!同様の計算をして、実働13日だったら、月に1,000円、日額76円。実働12日以下だと逆に部屋代と食事代を払えと言われてしまう! ああ。。。なんという騙しの手合いだ。こういう話にコロっとだまされて身ぐるみはがされる哀れな労働者やホームレスもいるのだ。 PR |
去年の11月の話であるが、知り合いの企業の会長さんがいい人で、ホームレスに仕事(軽作業)を与えて自立してもらおうという話になった。ホームレスは日銭暮らしが多いから、しばらくは日払いにしないと、月払いでは1ヶ月間、飲まず食わずですよ、とアドバイスしたら、そうするので、いい人がいたら紹介してほしいと頼まれた。 安請け合いをしたものの、人選は結構難しい。すでに何らかのアルバイトでいくばくかの収入を得ながらテント暮らしをしている人もいるが、せっかくアルバイトを紹介してもらっても続かない人もいる。ささいなことに腹を立て、ケンカをして辞めてしまったりするのだ。聞いた話では、住み込みにしてもらったのに支度金をもらって逃げちゃったのまでいるという。 馴染みのテント・コミュニティのメンバーは、まず駄目だ。時間に拘束されることを嫌い、自由なテント生活をそれなりに謳歌している者は少なくはないと思うのだが、馴染みのコミュニティのメンバーは、もれなくそういうタイプのホームレスである。 なんだかんだで、三人のホームレスを雇ってもらったが、ただひとり、K氏だけが辞めずに続いた。彼は工場での受けもいい。彼の人柄もあるが、会長さんがあらかじめ、彼らに「自分をホームレスだと思うな。思うと卑屈になる」と助言する一方、工場の他の従業員にも、「彼らはホームレスであるが、真面目に働けば関係がない。慣れない内は失敗もするだろうけど、ホームレスだからというような目でみてはいけない」と陰で言い聞かせていたのだ。企業のそういう精神的な受け入れ態勢は大切なことである。 ところが、今年の2月に入って、会長さんから僕に電話があった。「あいつ、給料払ってるのに金もってへん。アパートに入ったら正社員になってもらおうかと思ってるくらいやのに、ずっとホームレスのままちゃうか」とのこと。 普段は優しい僕だけど、このときは少し怒った。「本当に自立したいと思っているのか。その気がないなら、他の自立したい人にまわすから、仕事やめてくれ」 K氏と色々と話をして、K氏は自分からわざと、テントの仲間と疎遠になるようになった。「俺はあいつらとは違うんだ」と思うようになったとも言っている。それを僕は差別的な発言とは思わない。向上心の現れだと思っている。そういう向上心や自発的な努力がなければ、ホームレスからの脱却は難しい。ホームレスになってしまった原因は色々だろうけど、ホームレスから脱却するためには、最終的に本人の意思が大切なのだ。 テントのままの就労というのは、ホームレスにとって敷居は低いが、かえってテント生活を助長する可能性がある。現に、十分な収入がありながらテント生活を続けている者がいるではないか。 これは僕のアイディアなのだが、まずはテントのままで就労させてみて、ある程度のトライアル期間を与え、続けられると本人が納得してから施設に入所させるというのはどうか。経済団体がセンター入所者に対して行っているという就労支援の枠を広げるのだ。 |
S蔵という男がいる。S蔵がテントにいるときは、ほとんど口も利かなかったけれど、入院が長引いてテントを壊さなければならなくなったときに、僕が飼い犬の里親を探したことがきっかけで、よく携帯に電話が掛かってくるようになった。 S蔵は心臓病やら血圧やら内臓やらでもう1年半くらい、転院を繰り返しながら入院生活を送っている。見舞い客もなく、退院の見込みも告げられず、孤独感と不安に苛まれる毎日らしい。唯一の話し相手が僕なのだ。 いつまで続くかわからない孤独な入院生活。そして、退院後は居宅保護を望んでいるが、生活保護を受けることができるかどうかもわからない。もしも居宅保護を受けることができなければ、元のテント暮らしを強いられることになるが、以前のテントは既になく、体力的にも缶拾いをする自信はない。退院後の自分がどうなるかも不安なのだ。 実際、65歳未満の入院患者は、退院の段階にならないと、居宅保護を受けられるかどうかは判断してもらえない。僕は、ケースワーカーがいるはずなので、よく相談して希望を伝えるようにと言ったが、ケースワーカーとは最初の入院の時しか会ったことがないという。じゃあ、院長に居宅保護希望の意思をはっきり伝えておくようにというのだが、転院のたびに同じような会話がくりかえされる。 ホームレスや身寄りのない人は、入院すると治療だけして、精神面はフォローなしなのかなぁ。。。そこまで望むのは贅沢なのかもしれないけれど、去年の12月、S蔵が「死にたい」とまで言い出したので見舞いにいった。 S蔵に身内はいないのかと尋ねると、10年前まで、姉の家の近くに住んで、仕事の手伝いをしていたという。ならば、お姉さんに連絡をとってみようという話になった。S蔵によると、不義理をして飛び出し、テント生活になったので、もう関わりあいたくないといわれるかもしれないということであったが、とりあえず僕は姉夫婦が住んでいるはずという場所を聞き、連絡をとってみることを約束したのだ。 それからが、結構大変だった。まず、住所が不正確で探しても見当たらない、電話番号もわからない。僕も仕事があるので、平日の昼間はあまり自由が利かず、ひとつひとつの行動に移るまでに随分と時間が掛かってしまった。 しかし今日、ついに、姉夫婦の家を発見した。玄関の呼び鈴を押し、ドアをノックしたが、誰もでてこない。僕は不在に備えてあらかじめ用意した手紙を玄関のポストに入れた。手紙には、S蔵との関わりとS蔵の様子、僕の携帯の番号を書いてある。どうか、僕の携帯が鳴りますように・・・、僕は玄関先で手を合わせて拝んだ。 |
とある公園の片隅にポツンと彼のテントがある。夕方にその公園を横切って歩いていていると、テントの前で久しぶりに彼の姿をみた。 彼は、来月で65歳になるという。だったら、もう生活保護を受けることができるではないか。彼にそのことをいうと、以前に公園事務所の職員が来て、熱心に生活保護を勧めてくれたが、断ったのだという。 彼が言うには、生活保護を受けて楽してお金が入るようになると、堕落してしまうという。うむ。。。こんなことを言う人は、たまにいる。 しかし、彼はどうしても生活保護を受ける気持ちにはならないという。突っ込んで聞くと、人の税金で生活の面倒を看てみもらうということは惨めだというのだ。たとえ空き缶を集めるテント暮らしであっても、まだまだ自分で働いて、自分の食い扶持を稼ぐことができる。自分の生活を自分で支えるという気持ちがなくなれば、目標がなくなって、ただ生かされているだけの存在になってしまう。自分の力で生きて行くという気持ちがあるからこそ、元気に毎日を暮らせるんだ、と。 成る程なぁ。人間というものは、単に生きていればいいのではなく、自分の力で自分を支え、生きているんだという実感が必要なのだなぁ。。。 でも、東京出身の彼は最後に関東訛でこういった。 あなた、偉いです・・・・・・。 |
ホームレスの世界は多様であって、一概にホームレスが悲惨であると決め付けるわけにはいかない。それが、僕が経験から得た持論である。テント生活をしているホームレスには「明るいテント生活」を送っている者がけっこういる。前回、前々回と「明るいテント生活」を送っているホームレスのことに触れたが、客観的には、悲惨と呼ぶにふさわしいホームレスも現実に存在する。ただ、その悲惨な状態もまた、多様なのであるが・・・。
ホームレス同士では、相手が本名らしき名前を名乗った場合はその名前で呼ぶが、そうでなければ、だいたいが何らかのその人物の特徴をとらえて、ニックネームで呼ぶ。背が高ければ「のっぽ」、青い帽子を被っていれば「青帽」、熊本訛りがあれば「ばってん」という具合である。 そして、その男は、大阪市内のある地名で呼ばれている。その土地から流れてきたというのが由来であるらしい。実際はちがうのだが、ここでは仮に四貫島ということにしておこう。
四貫島は去年の暮れまでブルーシートをロープで張っただけのみすぼらしいテントに住んでいた。しかし、あることで、周囲のテント居住者からさんざんに文句を言われ、ケンカをしてテントを出てしまった。暖冬とはいえ、冷え込む季節に四貫島はベンチや橋の下で毛布にくるまって寝ている。ひとつのテント・コミュニティから疎外されてしまった四貫島は、他のテント・コミュニティからも相手にされない。それほど広い範囲ではないだろうが、噂はすぐに広まるもので、近隣コミュニティからはもう受け入れてくれないのだ。
「金、貸してくれや」
四貫島は、僕の顔をみるとねだる。500玉一枚を渡す。貸すのではない、与えるのだ。四貫島は、すでに還暦を過ぎている。若い頃は、工事現場で働いていたが、年齢とともに体力もなくなり、仕事も減って、野宿生活を始めて15年だという。今は、空き缶を拾って一日に千数百円の現金を手にする。その空き缶を拾うためのキャリアも、今使っているのは、僕がコーナンで買ってきて与えたものだ。そして、手にした現金のほとんどを安い焼酎に替えてしまう。
「酒はなぁ、若い頃から飲んでるんや。博打は金がないからやめたけど、酒はやめられん」ワンカップの焼酎を1日に最低でも6本は飲んでいる。金があれば、いくらでも飲めるらしい。食事はコンビニの廃棄弁当をもらっているらしいが、どうみても食べているよりも飲んでいる方が多い。煙草もすっているが、煙草は、案外に新品が落ちているとか。ごみ箱をあさって雑誌も拾ってくる。
「ええ加減、酒控えろや。死ぬで、ほんまに」
何度もそういうのだが、言うだけ無駄だろう。
「死んでもええねん。この世になんも未練はないわ」
そういう四貫島は、酒が飲めなくなるというので施設はいやだというし、何度か救急車で病院に運ばれたが、やっぱり酒が恋しくて勝手に病院から抜け出してしまう。まともな就職なんて、本人もできる年齢でも状態でもないと思っている。今は、酒が飲めたらそれでいいという生活だ。
客観的には、どうみても不幸な生き方なのだが、本人は、無理して畳の上での生活を送るよりも、野垂れ死にするまで、今のままの生活を送る方がいいという。野宿生活をよしとしているわけではないが、自分ではどうすることもできないので、成り行きに任せている。周囲のテント生活者からさえも「怠け者」と呼ばれてしまっている。
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昨日、本来はテント暮らしをしなくてもいいのにテントで生活しているホームレスがいるということを書いたのだが、そこだけを捉えられて、「ホームレスは怠け者である」という世間の思い込みを助長させては申し訳ないので、ホームレスの名誉のために追記しておこう。 ホームレスの収入源は実に様々であるが、アルミ缶回収だけでテント生活をしているホームレスの収入は、だいたい月に3万円から10万円くらいだと僕は見ている。随分と幅があるが、普通にごみ置き場を自転車で巡回して缶を集め、コンスタントに月7万円を稼ごうとすれば、相当な働き者でなくてはならない。 空き缶を集めにいく場合、夜が明ける前に自転車でテントを出発して、10キロ先、20キロ先まで缶を捜し求めにいき、昼過ぎに帰ってくるというパターンが多い。(缶の買取場所で支払い金額は、午前中よりも午後からの方が一人頭の額が高い。午前中に缶を持ち込む人の多くは、日銭に逼迫しており、少ない量の缶をできるだけ早く現金化しようとしていると考えてよい) アルミ缶の値段は、買取場所によって違うが、今のところ150円くらいが相場である。7万円稼ごうと思ったら、1日に15キロ以上、毎日集めなければならない。競争が激しいため、近隣市町村の資源ごみの日を熟知し、いい場所を複数箇所知っていて、他の人にとられないように効率よく回らなければならない。 それ以上稼ぐにはどうするか。もっと稼ぐ人はたいてい、特定のマンションの管理人と仲良くなっていて、缶をもらう代わりにごみ置き場の掃除をするなどしている。なじみの場所ができるまでが大変で、何度も通って頭を下げ、信用してもらって初めて自分の特定の「お得意様」になってくれる。追い払われることもしばしばだが、ぐっと我慢するのだ。 銅線で稼いでいる人も同じである。銅線は今が好調で、キロ600円以上するが、特定の電気工事店に頼んで、廃線や余りの線をもらってくる。 また、パソコンのモニターやテレビなどは、映っても映らなくても(電気のない彼らには確認できない)500円から1000円くらいで引き取ってもらえる。近隣住民と仲良くなれば、いらなくなったそういった資源を住民がもってきてくれることもある。ホームレスといえども怠け者であってはいけない。「お得意様」や地域の人から可愛がってもらえるために、ある程度の社会性も必要である。「食える」ホームレスは、頑張って働いている。怠け者ではだめなのだ。 月に7万から10万も収入のある人ならば、普通に安いアパートで暮らせるではないかと言われるであろうが、そうしないのには、彼らなりに色々と理由があるのだろう。また、缶や銅線で稼いでいる人は、アパートに入ってしまったら缶や銅線で生活すること自体が難しくなる。「お得意様」や地域住民と切り離されてしまえば、「高収入」も見込めない。 話は少し変わるが、アパートに入らなくても、テント生活にそれなりに適合し、「食える」生活をしているホームレスが、テントの立ち退きを要求された場合、「お得意様」や地域住民と切り離される不安があるし、全く離れた場所に移動させたれたら、それまで確保していた縄張りから遠くなって「仕事」がしにくくなるという困った事態に直面することになるのである。 テントの場所も一から見つけなければならないし、それまでのテント・コミュニティも崩壊する。行政への抵抗を否定している我が「友人」ですら、やはり、立ち退きを要求されることは恐怖なのである。 |
ホームレスにはお金持ちがいるといっても、ホームレスの姿をしている人が実は大きな会社の会長さんで、夕方に高級外車で迎えが来るというような、たまに聞くお伽話のような話ではない。 このうち、テントに住んでいる人は概ね、ホームレス界の上流階級である。彼らの多くは、缶拾いや粗大ごみ回収、日雇い仕事などで一定の収入があり、病気や追い出しがなければ、平和にホームレス生活を続けて行くことのできる人たちだ。ホームレスの上流階級の中には、最上級とも言える十分な収入のある人もいる。 僕が今まで出会ったテント生活者の中には、20万円近くの年金をもらっている人もいるし、現場仕事で月に15万円程度の賃金収入のある人もいるのだ。それだけの収入があっても、貯蓄をしている人は少ない。ほとんどが、パチンコ、競馬、アルコールに消えて行く。週に1回はスナックで飲んでいるという人もいて、馴染みのスナックに連れて行ってもらったこともある。(支払いは割り勘にした)こういうホームレスは特殊な例と思われるかもしれないが、決して、稀ではない。 |
いつものテント群から離れたところで、「おっちゃん」がテントの中で死んでいるのが発見された。近くのテントの住民が、しばらく姿を見ていないために不審に思ってテントの中をのぞき、「おっちゃん」が息絶えているのをみつけた。 「おっちゃん」は近所の者にいわせると「偏屈者」で、あまり近隣との付き合いがなかったという。亡くなってから発見されるまで2週間もかかったということが、近隣との結びつきの薄さを物語っている。 「おっちゃん」が近所付き合いがよかったら、もっと早くに発見されて命が助かったのかどうかは分からないが、死に至ることがなくても、ホームレスだって病気になるし、お金に困ることもあるし、事件に巻き込まれることもある。そんな時に頼りになるのは、はやり、近隣のホームレスである。同じように血を吐いて倒れたが、近所のホームレスがうめき声に気づいて救急車を呼び、一命をとりとめたという話も実際にある。一般の社会であれ、ホームレスの社会であれ、人間関係は大切なのだ。 「お前なぁ。死んだ時のために、本籍地と本名と生年月日を書いたメモをテントのどこかにおいとけよ。死んだときくらい、人に迷惑かからんようにしとけ」 例によって「友人」に悪態をつくと、「友人」は、「そやなぁ。このまま突然に心臓が止まったら、俺が誰かわからんままに死んでいくんやなぁ」と珍しくしんみりとした表情で答えた。 考えてみれば、僕も彼をニックネームで呼ぶだけで、その本名は知らない。 |
長居公園でホームレスのテントに対する行政代執行が行われているとき、当該ホームレス自身は、自らのテントから離れ、急ごしらえの舞台で芝居を演じていた。そのことを他の公園に住むホームレスは、どのように感じた(る)のか。4人ほどが集まった場所で、無理やりその話題を振ってみた。 「テント守らんと芝居やっとったんか。何のために騒いだんや。遊びか?」 「マスコミ向けのアピールちゃうか。ええかっこし過ぎや。俺らそんなんでテレビに映ったら、電気の配線くれへんようになるわ」 「ようわからんな。なんで芝居やねん。」 「長いこと住まわしてもらったんやから、最後はありがとう言うてきれいに出て行ったらええのに」 元々「抵抗」には批判的な人たちなので、あまり評判はよろしくない。まぁ、それは、それでいいんだろう。 しかし、僕は思うのだよ。単にテントを守れというだけでは、徹底抗戦になる。暴力事象も起こりかねない。世論の反発を買うことにもなりかねない。 そうではなく、彼らは非暴力に徹した。テレビ報道では芝居の内容が分からなかったが、芝居を演じることによって、単に寝起きする場所としてのテント村ではなく、喜怒哀楽に満ちたテント村での人間としての生活があるということを訴えたかったのではないだろうかと。 考えすぎかなぁ。。。残念ながら、当該ホームレスが代執行のあとでテレビのインタビューに答えた言葉からは、そのようなテント村の「ハレ」の部分には、ほとんど触れられることがなかったのであるが・・・・。 |
長居公園の行政代執行からまだ3日しか経っていないが、長居とは何の交流もない我が「友人」のテント群では、長居のことは、もう話題にも上らなくなっている。 1年前の靭・大阪城公園での代執行の時は違った。靭・大阪城公園の時には、何かにつけて興味を持ち、代執行前には、わざわざ様子を見に行った人もいるし、代執行のあとも、支援者や当該ホームレスの動向が、酒の肴となっていたのだ。 しかし、今回の長居公園での代執行については、あまり興味というか好奇心が沸かない、といった雰囲気である。ホームレスだけではない。世間一般からの関心が、靭・大阪城公園の時ほど集まらなかったように思う。 この違いはどこからくるのか。 しかも、前回は扇町公園に住むホームレスが提訴した住民票訴訟の第一審の判決が代執行直前に下され、ホームレス側が勝訴したことで世間を瞠目させた。今回も同じ裁判の控訴審判決が、やはり代執行直前に下されたが、ホームレス側が逆転敗訴し、世間を「一安心」させた。 抵抗の仕方も違う。 そういった、より合法的・平和的な抵抗が、世間一般の「部外者」を刺激する要素が少なく、そのことも、野次馬根性的なある種の盛り上がりを欠いたものとなったと思う。 ただ、盛り上がる、盛り上がらないとか、話題になる、ならないという話とは別に、何らかの抵抗が行われたにもかかわらず、行政代執行が完遂されたということで、他の公園に住むホームレスの間では、自分の住む公園でも強制排除があるかもしれない」という不安がたかまるとともに、「抵抗しても無駄だ」という意識も広がっているように見える。 |
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